社長ブログ、笑いと涙の奮闘記

群馬への帰省

2018年01月19日

家に帰って、その中の1つである「ちぢみホウレンソウ」というのを食べました。それが、あまりに甘くておいしいので驚きました。
ところで、皆さまは、なぜ寒風に吹きさらされて育った冬の野菜が甘いかご存知ですか。

群馬への帰省

2018年01月18日

山々を見ると、「自分自身や周りの環境は変わっても、山々はいつも変わらず自分を迎えてくれる」という感じで、山の偉大さを痛感します。
帰りは時間があったので、道の駅に寄りました。そこにはたくさんの野菜が並んでおり、京都より値段も安くおいしそうなので、たくさん買い込み、持参したスーツケースに詰め込みました。それはまるで、京都から群馬へ野菜の買い出しに来たようなものでした(笑)。

群馬への帰省

2018年01月17日

私は先日、母の一回忌で久々に群馬に帰ってきました。その日は快晴で、群馬三山(妙義山、榛名山、赤城山)はもとより、遠く浅間山や谷川連峰も見渡せました。これらの山を見ると、「故郷に帰ってきた」と、感慨が深まります。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月16日

つまり、その滑走路の下には何千、何百人という日本兵の死体が埋まっているのです。その時、氏は何とか飛行機から降り、滑走路を撫でながら大声で泣いたそうです。
今現在、硫黄島には海上自衛官の方などが赴任しているそうです。彼らの話では、島のあちこちで、ごく普通に兵士たちの幽霊を目にするそうです。これを知って、今すぐにでも、彼らの霊を慰めるような行事などが行えないものだろうかと、強く思いました。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月15日

飛行機が硫黄島に近付くにつれ、涙が止まらなくなり、飛行機が滑走路に降り立ったとたん、脚が動かなくなってしまったそうです。それもそのはずです。その滑走路は、普通の滑走路とは違うのです。硫黄島の戦闘がまだ続いているときに、アメリカ軍が日本兵の死体を片づけないまま、アスファルトを流し込んでつくったものなのです。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月12日

つまり、まだ1万2千名の方が硫黄島に取り残されているのです。その当時の学校の先生、サラリーマン、大工さん、お菓子屋さんなどの一般の方々が、今なお硫黄島に眠っているのです。
氏は、防衛省に交渉して特別な許可を得て、硫黄島に赴いたそうです。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月11日

硫黄島には、2万1千名の日本兵が渡りましたが、生き残ったのはたった1033名。約2万人の兵士がそこで亡くなりました。さらに、その2万人のうち、遺骨として故郷に帰ってこられたのは、8千人あまりです。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月10日

硫黄島は、映画『硫黄島からの手紙』からもわかるように、戦争末期の激戦地です。
戦争末期で軍人の数も減っていたため、その戦いには40歳以上の一般人もかり集められ、参加したそうです。40代といえば、家族も子どももいる人々ばかりでしょう。さぞかし参戦することは辛かったことでしょう。

知られざる硫黄島の事実

2018年01月09日

(株)独立総合研究所前社長 青山繁晴氏の講演のダイジェストを読み、大きな衝撃を受けました。
まず驚いたのは、硫黄島は日本の領土でありながら、今なおアメリカの管轄下のような状態で、立ち入り禁止となっているということです。

「さ」入れ言葉

2018年01月05日

皆さんは下記(1),(2)の表現について、どうお感じになりますか。
(1)「以上、今回は『さ』入れ言葉についてのコメントを述べさせていただきました。」
(2)「以上、今回は『さ』入れ言葉についてのコメントを述べてみました。」